あるPDとの文通
あるPDとの文通
下記は、将来の不安に喘ぐPD(宇宙科学分野:とりわけ就職競争が激しい分野の一つ)の方とのメール通信記録です。私信ではありますが、同様な不安のために挫折しそうな方を励ます目的で、姓名伏せ字にして掲載します。長文を読む気力も無くしている方は、色文字部分を拾い読みしてください。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ここから転載~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●●様、
メー ルを拝見しました。辛い状況にある事がよく分かりました。まず当たり前の事を言っておきます。●●さんの現状と近い状況で苦しんでいる人は、この国だけで も沢山居ます。数万人は居るでしょう。また、世界中を見渡すと、生き死にがかかった悲惨な状況で、必死に生き延びようとしている人々が沢山居ます。それらの人々から見ると、日本のPD/ODの苦しみなんて、苦しみのうちには入らないでしょう。そういう中から誰かが生き抜いて、人類は存続して来られた訳で す。決して自分だけが辛い状況に置かれているとは思い詰めないようにしてください。まずはここからです。
>ただ、本当に凹んでいたところで新田さんの記事を読み、
>もう少し頑張ってみようと自らを奮い立たせているところです。
(注:朝日新聞記事「就職漂流 博士の末は」2009年1月19日朝刊3面のこと)
まさにこのような効果を期待して、あの記事の取材に協力したのです。僕も長年苦しんで来たのですが、周囲のODと比してもとりわけ苛烈な状況に居たように思います。「なぜ自分だけこんなに苦しむのか」と思っていました。追いつめられて視野が狭くなっていたのだと思います。この問いの答えは最近になって得られました。「将来、こうやって苦しんでいる後輩を励ますための試練であった」と。
面白いセミナー企画に●●さんを招待したいと思います。
<セミナー企画(葉山合宿セミナー)の紹介(略)>
相当不思議な取り合わせで行います。ぺーぺーの若手から大物シニアまで混在しています。●●さんの知っている参加者も数名居る事でしょう。お互いの近況を報 告し合って、葉山の海岸でのんびり懇親会をします。骨休めのつもりで参加してください。たぶん、今の●●さんに必要なことは、研究をやっている事が楽しい事なんだと、再確認する事だと思います。この目的にはぴったりと思います。もし参加してくださるなら、その時に僕のストーリーをお話ししましょう。
>研究自体は年々楽しさが増す一方ですし、
>ここまで来たら何が何でも研究に喰らい
>ついていくのが結局は一番なのかとも思います
僕のパーソナルHPを見てくれましたか?
今、 研究が楽しいのであれば、僕もそうだと思いますよ。ここが一番大切な基準です。大学関連でやっているような自由な研究は、他の場所ではまず出来ません。大学内でも、理学系と工学系では全く違います。理学で育った人間は、そこで親しんだ自由な空気から離れると死にそうになる事も多いと思います。
>ポジションを探している、ということをがめつく色々な先生に当たっていくことも
>不可欠なのでしょうか。
研究面でのアピールに関しては、新しい成果が出るたびにあちこちに売り込む事が大切です。やっていますか?僕は年間10回程度あちこちでセミナー行脚しまし た。こういう中で分野外の人からもらうコメントが次の研究に繋がる事もあるし、自分の存在をいろいろな年齢層のセミナー参加者にアピールできます。これが自然な営業活動ではないでしょうか。ただ「仕事を探している」と訴えるだけでは、先方もどう接していいか分からないと思います。
>またこれまで非常勤講師を務めたことがないのも公募に
>おいては大きなマイナス要因だと思うのですが、講師の口は
>基本的にどのような経由で情報を入手されてきたのでしょうか。
旧帝大クラスや純粋研究機関以外の仕事も探すつもりであれば、教育経験が無い事はかなりのマイナス要因と思います。無理してでも教育の機会を見つけて、やっておく方が良いでしょう。しかし、ここ5年くらいで、新たに非常勤講師のポジションを見つける事が難しくなりました。各大学が緊縮財政に移行し、外注的な 非常勤講師のコマを減らしているからです。まずヨーロッパ系言語の第2外国語の講師たちが職を失いました。代わりにアジア系言語の担当者は増えました。
宇宙科学に関連する我々の立場で考えると、非常勤講師の口は2つに分類できます。
1つ目は、教養科目としての「宇宙科学概論」などを担当する事です。これは、学生に人気が高く、理系学部文系学部ともに需要があります。他の物理系研究者よりも我々にアドバンテージがあります。がんばって探すと多少は見つけやすいでしょう
2つ目は、理系学部の基礎科目として物理学のコース(力学、電磁気学など)を担当する事です。あまり専門性は活かせませんが、自分の勉強にもなります。ただし、こちらについては、どの大学でも専任教員で担当できる方が居るでしょうから、外注される事が少なくなってきました。
僕はこれまで名古屋地区と東京地区で非常勤講師の仕事をしてきました。名大に居た時には、でかい大学なので、内部で先輩同輩たちに仕事を探している旨を伝えておく事で、いろんな仕事の話が来ました。それほど苦労せず(しかし知人のドタキャンで偶然に)最初の非常勤講師のポストが手に入りました。この実績が、それ以降の非常勤講師をやる際に非常に役立ちました。
総じて言える事は、「最初の職を得る事が困難で、一度キャリアを積むと、それ以降のポストは手に入りやすくなる」と言う事です。だから、チャンスがある時に無理してでもやっておく事をおススメします。例えば調布の電通大では、新規に非常勤講師を採用す る際の近年の基準は次のようなものです:「どこかの大学の専任の講師以上のポストにあり、担当予定科目関連の講義経験を有する事」。これでは、PDが新規に食い込む事は不可能です。しかし、すでに他大学で講義担当の経験を持つ場合には、これが適用されない事が多いのです。
3度目の大学院生として東京に移住した時、一番の心配は、非常勤講師の口が見つかるかと言う事でした。移住の数ヶ月前から、国立天文台のあらゆる知人に、「非常勤講師の口 を探している」旨を伝えていました。また、学会/研究会の懇親会などで、東京地区の大学教員にも同様に希望を伝えました。これらの工作が功を奏したのは1年後からです。まず、天文台での指導教官が転出する事になり、その人が電通大でやっていた講義を引き継ぐ事になりました。この時にも名古屋での講義担当の経験と、指導教官のピンチヒッターとして臨時に電通大の講義を担当した実績が有効でした(普通の国立大学は、大学院生を非常勤講師として雇う事はありません)。
この後は、毎年秋になると非常勤講師の口の情報が集まるようになり、一番多い時で週7コマ担当できるようになりました。非常勤講師だと週1コマ担当した月給は約2.5万円ですから、これでも月収は17万円くらいです。過剰に集まった情報は、周囲のPDに分けていました。
やっ てみるとすぐに分かる事ですが、非常勤講師稼業と言うのは、なかなかしんどいです。アカデミックキャリアにこだわりが無いのなら、割が合わないと思いま す。しかし、我々にはどうしても必要なものだと思います。新しい講義を引き受けた年は、講義準備がえらく大変です。また、講義をすると非常にぐったりとつかれます。その合間に研究もしようと言うのですから、しんどいのです。僕の場合には、1年間の休日は20日前後でした(普段の土日は休まないと言う事です)。それでも年収150万円くらいですからがっくりです。しかも、学会/研究会に参加するには、講義を休まないと行けません。出張費は当然自腹です。収入が減って支出が増えるダブルパンチにめげてはなりません。なかなか周囲には理解してもらえない人生になるでしょう。こんな生活を20年以上続けてきまし た。
>ただ、本当に凹んでいたところで新田さんの記事を読み、
>もう少し頑張ってみようと自らを奮い立たせているところです。
僕の場合には、「研究をやめてまで生きて行こうとは思わなかった」ことが非常に重要なキーでした。だからどんなにひもじい状態になっても、「研究しながら死ぬのなら、それでもいい」と割り切る事が出来たのです。これは最早「修羅の道」ですから、誰にでも勧められる生き方ではありません。
とはいえ、
>かといって年齢的に考えても、研究をやめて一般就職すること
>など尚更無理なことだと思います。
ということでしたら、●●さんもそう思い込んだ方がいいのでしょうね。僕の場合には、上記のように転げ回りながら悪戦苦闘している時、いよいよとなったらい つも誰かが「浮き輪」を投げてくれました。まあ、何をやっても目立つからでしょう。おかげでなんとかやって来られたと言うのが実情だと思います。これは偶然/他力本願の部分ですから、●●さんにも期待できると言う訳ではありません。
兎に角、我々はほとんどの人が生き残れない道を目指している訳ですから、死にそうな目に遭う事は、避けられないと覚悟しておくべきと思います。この覚悟をしながらも精神の安定を保つ事が出来るとすれば、それは 「何にも代え難く学問が好きだ、研究していると幸せになれる」という強い思い込みがあればこそと思います。
葉山でゆっくりお話しできるなら、もっといろいろお聞かせできます。ぜひ来てください。
最後にプレゼントを。「ペルーの電波望遠鏡を支援する会」HP
http://www.peru32m-telescope.net/
の「お知らせとお願い」枠内の「こちら(pdf.5MB)」の記事をご覧ください。僕が天文月報に投稿した記事の転載です。こういう生き方をする人が現実に居るので、「辛い」とか「しんどい」とか言っていられないのですよ。
8/10に再投稿締め切りの論文改訂中
新田伸也
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●●様、
>PDとしての苦しみも生き延びる苦しみに比べたら比較する次元に
>ないほど恵まれている、ということも再確認すべきことですね。
我が意を受け止めてくださったようで良かったと思います。自分が苦境にある時に乗り切るコツは、より苛烈な状況を生き延びた人たちの記録を普段からよく知っておく事です。僕は、「シベリア抑留」「太平洋戦争時の南方戦線(玉砕戦)」「ポルポト革命」などを調べました。同様に、先鋭的な登山家の記録(例えば小西 政継「グランドジョラス北壁」)もよく読みました。たまたま混雑した列車で出会った、サイパン玉砕戦の生き残りの方の話も、僕の背骨に沁み入っています。僕が小学生の時に体験した小野田 寛郎さんの帰還劇は、忘れようの無い衝撃の記憶を植え付けてくれました。29年間もジャングルで戦闘を継続するなんて!懸命に何かをし、生き延びた人たち の話が、苦境にある時の自分の勇気に繋がったと思います。辛いと感じた時には、これら先人の苦難と比して自らを笑い飛ばしていました。●●さん、僕らが研究の上で出くわすあらゆる困難は、大した事は無いですよ。
>正直、あのようなメールを出すこと自体自らの愚かさを曝け出すに過ぎない
>ので、文章を書いた後も送信ボタン押すまで随分と逡巡いたしましたが、
>御丁寧な返信をいただくことができて本当に心が軽くなりました。
そんな事は無いですよ。ここはしっかり理解してください。視野が狭くなったまま一人で抱え込んでいると、精神を傷める危険性があります。そういう人をこれま で沢山見てきました。そんな時には、話をしてみたいと思える人を積極的に訪ねて話をするのが良いと思います。僕もかつてそうしていました。ずいぶんいろんな人に支えてもらったと思います。気力さえ蘇れば、後は自身のがんばりが結果を決めます。
今回、●●さんがそのような対象として僕の事を思い出してくれた事は、僕にとっての名誉です。さらに、心を軽くする役に立てたのなら、望外の喜びと言えます。そのために、僕はこれまでやって来たのだと思えます。かつての苦しんでいた僕も、後年のこの事実を知れば報われる気持ちになる事でしょう。
またお会いしましょう。
新田伸也